JDEA Forum

「データ」についてのあれこれをレポートしつつ、ワイガヤ(ハイブリッド・ミーティング)や勉強会/セミナーなどを通じて日本データ・エンジニアリング協会(JDEA https://www.jdea.gr.jp/)を側面支援していきます。

「データ」についてのあれこれをレポートしつつ、ワイガヤ(ハイブリッド・ミーティング)や勉強会/セミナーなどを通じて日本データ・エンジニアリング協会(JDEA)を側面支援していきます

PDP

Programmed Data Processor 1957年から1990年まで続いた米デジタル・イクイップメント(DEC)社のコンピュータシリーズ名。PDP-1からPDP-16まで16モデルがあった。 PDPシリーズ - Wikipedia

PDP-5

米ディジタル・イクイップメント(DEC)社が1963年に製品化した12ビットコンピュータ。オープンリール方式の磁気テープ装置を備え、6ビットでデータが記録・保存された。のちの「ミニコンのDEC」を確立した名機とされる。 シンプルなデータを高速に処理でき…

ミロクコムシェア 

1974~1978 1974年6月ミロク経理と米コムシェア社の合弁で設立され、コムシェア社が開発した超大型コンピュータ「シグマ9」によるTSSサービス「コマンダーⅡ」を提供した。資本金は1億9840万円、従業員は26人、1978年度の年上高は約2億円だった。しかし初…

コントロール・データ・コーポレーション(CDC)

Control Data Corporation 1 957年にスペリーランド社からスピンオフしたウィリアム・ノリスが創業した。科学技術向け中・小型計算機を得意とした。「CDC」の略称で知られる。ノリスと一緒にCDC社を立ち上げたシーモア・クレイが、のちにスーパー・コ…

EDPジャーナル

1968年5月5日創刊。 1970年5月20日まで、日本電子計算機開発協会系の出版会社「EDP出版」社が隔週刊で発行した。 ほぼ同じ時期に会員制機関紙として、マネジメント・サイエンス・クラブの「ザ・デイリー・ネットワーク・ニュース」、日本能率協会発行の「EDP…

WTC 

World Trade Corporation 日本のコンピュータ業界ではダブリュ・ティー・シーと呼ばれた。 IBM社のグローバル戦略を統括する組織で正式名称は「IBMワールド・トレード・コーポレーション」。形式上、アメリカIBM社もWTCの傘下に入る。IBM社は各国に設立した…

レミントンランド

Remington Rand 1927–1955 IBM社と並ぶアメリカの電子計算機メーカー。「RR」の略称で知られた。スペリー社に買収され、「UNIVAC」ブランドのコンピュータで一世を風靡した。1990年バロース社と合併し、ユニシス社となった。 レミントンランド - Wikipedia

日本 ソフトウェア

通産省が主導し、政府機関の情報システムを開発するために設立されたソフトウェア開発会社。国産コンピュータ・メーカーが出資した。

ボレーの乗算器

Multiplizierer von Léon Bollée フランスの発明家レオン・ボレー(Léon Bollée:1870〜1913)が開発した。 1889年に行われたパリ国際博覧会に出展され、金賞を受賞した。この装置をハーマン・ホレリスがパンチカード式集計機に採用し、統計会計機械装置が完…

Alto

1973年、米ゼロックス社(XEROX)のパロアルト研究所(PARC)でアラン・ケイの要請を受けて3ヶ月足らずで作られたワークステーション試作機。メモリ増強などの拡張を伴ってAlto-II、販売を目的にしたAlto-IIIまで作られたが、結局、市販はされなかった。1973…

EDVAC 

Electric Discrete Variable Caluculator エッカートとモークリーがENIACに続く電子計算機として1944年から設計を開始し、1952年に完成させた。ENIACCが10進法だったのを2進法に改め、プログラムを内部に保有させることで演算速度の高速化を図った。この開…

EDSAC 

Electronic Delay Storage Automatic Calculator イギリス・ケンブリッジ大学の研究者・ウィルクス(Maurice Vincent Wilkes) が1949年に開発した真空管式計算機。長さ5フィート(約1.6m)の管に水銀を蓄積し、一方の端から音声信号を通したとき、もう一方…

TOSAC 

Toshiba Analog Computer 1960年代、東京芝浦電気が電力、生産制御、大学・研究所などでの計測用として開発したアナログ式計算機のブランド。のちアメリカのインターデータ社が開発したデジタル式計算機を扱うようになったため、「TOSAC」の名は消滅した。

HITAC8000シリーズ

1965年に発表された日立製作所の汎用電子計算機で、アメリカRCA社から技術供与を受けた。当初は小型機でスタートし、のちに大型機までシリーズ化され、1972年発表の「HITAC Mシリーズ」の基礎を形成した。

UNIX(ユニックス)

1969年、AT&T社のベル研究所に所属していたブライアン・カーニハン、デニス・リッチー、ケン・トンプソンの3人の研究員が開発したOS。 【エピソード】 彼らは、他の研究員と同じように、暇を持て余すと——あるいは研究に没頭して疲れた頭を休めるとき——、自…

ソーシアルサイエンスラボラトリ(SSL)

1972年7月、三岩商事が出資し、国策ソフト会社「日本 ソフトウェア」の事業縮小に伴って、そのソフトウェア技術者約50人が中心となって設立された。富士通の大型コンピュータ用基本ソフトウェアや官公庁のシステム開発を手がけ、売上高は1974年度が3億6000…

MCS-4

1971年4月、米インテル社が日本の電卓メーカー「日本計算器」の要求で開発に成功した演算機能を備えたシリコン半導体。幅約3mm、長さ約4mmのシリコンチップの中に2300個のMOS型トランジスタを搭載していた。動作周波数は108キロヘルツ、回路線幅は10ミ…

PDP-8

米ディジタル・イクイップメント(DEC)社が1967年に製品化した12ビットコンピュータ。初めて演算素子にICを使い、プライス・パフォーマンスを大幅に向上した。最小4キロワード(最大32キロワード)のコアメモリを内蔵し、演算速度は1.5マイク…

GEMMY

日本電信電話公社(電電公社)が開発した磁気ディスク装置。 薄膜ヘッドを採用し、震動や熱による変形抑制、空気清浄化技術などで超高密度記録を実現した。耐磨耗性に優れた潤滑材でヘッドの耐久性と信頼性を向上するなど「磁気ディスク装置の最高峰」といわ…

茨城通信技術(茨城電気通信研究所)

電気試験所の茨城研究所を日本電信電話公社が継承し金属素材の基礎研究を行っていた。情報処理システムにおける磁気記録媒体、塗布素材、磁気ヘッドなどを研究していた。 参考URL:http://www.bcm.co.jp/site/2005/2005-11/05-fellow-11/05-fellow-11.pdf#se…

茨城研究所

通産省電気試験所(現在の産業技術総合研究所)の研究所の一つ。のち日本電信電話公社(電電公社)の茨城通信研究所(茨城電気通信研究所)となった。

OASYS オアシス

富士通の日本語ワードプロセッサ。独自の「親指シフト」方式が採用されていた。日本語文を入力する速度はプロ向きだったが、専用キーボードが必要だったため、大きなシェアを取れなかった。のち通常のJISキーボードによるカナ漢字変換方式もサポートし、…

国際プログラム・サービス

1968年10月、平貞介が東京・九段下に設立したソフトウェア会社。1971年漢字処理システムの開発を目的に「カンテック」を設立、ここでカナ漢字変換システムをローマ字入力で行える方法を編み出した。1978年に日本システムハウスと共同で日本語ワープロの開発…

シー・エス・シー

1965年4月に設立され、コンピュータ関連機器を輸入販売した。主力はOCR、キーツーディスクのデータ入力装置、カード発行装置などだった。東京・青山のハザマビルに本社があった。

アップルコンピュータ社のロゴマーク

創業初期のロゴマークは、ニュートンが林檎の木に寄りかかって本を読んでいる絵だった。これでは堅苦しいと考えたスティーブン・ジョブズがロブ・ヤノフにデザインを依頼し、シンプルな林檎に右側に一かじりを加えた。「 bite(かじる)」 と「byte(バイト…