JDEA Forum

「データ」についてのあれこれをレポートしつつ、ワイガヤ(ハイブリッド・ミーティング)や勉強会/セミナーなどを通じて日本データ・エンジニアリング協会(JDEA https://www.jdea.gr.jp/)を側面支援していきます。

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情報通信

世界最初のオンライン・システム

一般には1964年10月に稼動した東京オリンピックの競技記録速報システムとされる。しかし厳密には東京オリンピックが世界初ではない。国内では1963年に国鉄、近畿日本鉄道が実験的なシステムを稼動させていた。 ただし東京オリンピックのシステムは、複数個所…

電話網整備に関するGHQと進駐アメリカ軍の要求

1945年8月、日本を占領した占領軍総司令部(GHQ)とアメリカ軍は日本の長距離電話回線を接収した。『GHQ日本占領史』によると1946年までに接収した電話回線は約14万5000キロ、電信回線は約1万1200キロ、交換局は122か所、電話器は約1万2600台に及んだ。1946…

通信復旧三カ年計画 

1946年度から1948年度まで3か年度を想定した戦後経済復興計画の一つ。 1945年10月、GHQが通信施設の早急な復旧を要求したことに日本政府が対応したもの。1946年度から総工費33億5000万円を計上し、被災都市の市内電話網の復旧と市外回線の整備、石炭・鉄鋼…

通信復旧五カ年計画

1947年度からスタートした5か年計画。 通信復旧3カ年計画を推進したのは通信院が1946年7月に逓信省に昇格し同年10月「電気通信委員会」が発足した。終戦直後、国内の電話は53%が不通だったため、同委員会は翌1947年度から加入電話と架設電話(公衆電話な…

通信復興五カ年計画

1948年度から1952年度までの5か年度に実施された戦後復興計画の一つ。 1947年7月現在の電話の不通率は39%に回復したが、通じるはずなのにかからなかったり途中で音声が切れたりする「お天気電話」という状況だった。加えて32万2000件もの新規加入滞積(申…

電気通信復興五カ年計画

通信復興五カ年計画はやや早急でありすぎ計画通りにいかなかった。このため経済復興計画委員会の交通部会は1949年度から「経済活動と市民生活が支障なく営める程度」に計画を手直しし、1953年度までの目標として市内電話復旧63万台、新規28万台、市外回線 総…