JDEA Forum

「データ」についてのあれこれをレポートしつつ、ワイガヤ(ハイブリッド・ミーティング)や勉強会/セミナーなどを通じて日本データ・エンジニアリング協会(JDEA https://www.jdea.gr.jp/)を側面支援していきます。

「データ」についてのあれこれをレポートしつつ、ワイガヤ(ハイブリッド・ミーティング)や勉強会/セミナーなどを通じて日本データ・エンジニアリング協会(JDEA)を側面支援していきます

FACOM128

富士通信機製造が1959年に開発したリレー式の実用2号機。「128A」「同B」の2モデルが販売された。 パラメトロンは共振回路のパラメーター励振回路による2分の1分周発信で2進法を表記する。真空管より信頼性が高く寿命が長い特性があったが、演算速度が…

FACOM100

富士通信機製造(のちの富士通)が1954年10月に開発した国産初の実用リレー式計算機。約4500個のリレーで構成され、回路制御は非同期方式、プログラムは60単位の紙テープを読み取って実行し、繰返し使用するプログラムは不燃性フィルムを使用した。浮動小数…

ETL MARKⅢ

1956年、通産省電気試験所の和田弘らが開発したトランジスタ式電子計算機。アメリカ製のダイナミック回路と東京通信工業(のちのソニー)の点接触型トランジスター130個、Geダイオード1800個を使用した。トランジスタ式電子計算機では世界で3番目、プログ…

ABACUS(アバカス)

紀元前10世紀の中央アジアに発生したとされる計算具。小石を線に沿って滑らせることで、足し算と引き算を行った。計算のために用いた小石は「カウンタ」と呼ばれた。これがヨーロッパに渡り、線を引いた木製の板の上で貨幣に似た小型の円盤を滑らせ、計算を…

世界情報処理産業会議

1980年に発足した民間主導の国際組織。紆余曲折を経て、現在の「世界情報技術産業会議」(WCIT)につながっている。 1980年、スペインのマドリッドで世界主要国の情報処理サービス/ソフトウェア業団体が集まって、各国の情報処理サービス/ソフトウェア産業…

巴記者クラブ

1964年に創設された情報産業専門の記者クラブ。日本工業新聞、日刊工業新聞、電波新聞、電気新聞の4紙で構成し、1968年まで5年間続いた。名称は事務所を置いた東京・港区の大久保巴町(現・虎ノ門一丁目)から。

日本教育情報機器

Educational Computer Systems, Limited.(ECS) 1993年6月に国内の複数のコンピュータ・メーカーの共同出資で設立された。通産、文部、自治の三省の肝いりで設立されたレンタル会社で、公立の小・中・高校、工業専門高校、特殊学校などにパソコンなど情…

世界最初のオンライン・システム

一般には1964年10月に稼動した東京オリンピックの競技記録速報システムとされる。しかし厳密には東京オリンピックが世界初ではない。国内では1963年に国鉄、近畿日本鉄道が実験的なシステムを稼動させていた。 ただし東京オリンピックのシステムは、複数個所…

亀の甲型手動穿孔機

1874年、明治政府の太政官政表課(現在の統計局)が行った全国一斉人口調査に利用された形跡がある。独立行政法人統計センターの資料には写真まで残っているのだが、誰の手によっていつ作られたものか、詳細は分からない。

マンハイム計算尺

19世紀末にドイツで作られた計算尺。スコットランドのジョン・ネピアが考案した対数対照表の早見具「ネピアボーンズ」を改良した。日本のヘンミ計算尺の原型となった。

ナショナル金銭登録器

アメリカのナショナル・キャッシュ・レジスター(NCR)社の金銭登録機のこと。 機械を売るのでなく、商店主や企業経営者に経営手法や在庫管理のコンサルティングを行いながらマシンの有用性を訴えたことから、上中甲堂はそのユニークな販売方法に着目した。

テーラー・システム(Taylor system)

フレデリック・テーラーが編み出した科学的経営管理手法で、課業管理、計画機構、職能的管理組織、統制システムなどを組織的・計画的に展開する一方、労使協調の管理論を唱えた。森村商事の水品浩(みずしな・こう:のち日本IBM社長)がニューヨークのモリム…

鉄道省におけるPCSの利用

1923年、鉄道省経理局はパワーズ式統計会計機械装置を購入し、『マネジメント』誌が「事務能率の覇王―タビュレーチング・マシン」と題して紹介した。日本陶器にホレリス式統計会計機械装置が設置される1年前である。1925年にはやはり『マネジメント』誌が「…

自動算盤

パテント・ヤズ・アリスモメートル it-terminology.hatenadiary.com

パテント・ヤズ・アリスモメートル

日本国内での名称は「自動算盤」。 大分県出身の矢頭亮一(良一、1878~1909)が考案した卓上型の歯車式計算器。八頭自身は「自動算盤」と呼んでいた。「パテント」と冠したのは、矢頭が計算機構の特許を取得したからである。 1901(明治34)年に発売され、3…