1967年に設立された。
産経新聞社創業者で日本電波塔社長だった前田久吉が「国内最大のコンピューター・センター」を目指して設立した。
東京タワーの中に国産メーカーの最新鋭機を揃え、受託計算とプログラム作成を中心に事業を展開した。構想を立案したのは松尾三郎(のち日本電子開発を創業)だったとされる。
東京タワーを利用し、電波を活用したオンライン受託計算とソフトウェア・サービスを実現する構想だったが、法制度やコンピュータの性能からあまりに時期尚早だった。日本能率協会のEDP研究室を吸収統合した関係から、鵜沢和昌(のち青山学院大学学長)、中嶋朋雄、中西忠男(ビッツ創業者)、下川幸嗣(日本情報産業創業者)といった人材が集まっていた。
1968年、副社長だった中嶋朋雄の呼びかけで電子計算機利用研究会が発足し、奈良総一郎、服部正(構造計画研究所)、松尾三郎などが集まり、それが母体となって「四社会」が設立された。四社会が1970年6月に発足したソフトウェア産業振興協会(ソフト協)の母体となった。