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UNIX(ユニックス)

1969年、AT&T社のベル研究所に所属していたブライアン・カーニハン、デニス・リッチー、ケン・トンプソンの3人の研究員が開発したOS。

【エピソード】

彼らは、他の研究員と同じように、暇を持て余すと——あるいは研究に没頭して疲れた頭を休めるとき——、自分たちで創作したコンピュータゲーム——通信回線で二台のターミナルをつないで対戦することができる——を楽しんでいた。それはチェスゲームだったりトランプゲーム、または「宇宙旅行」というシミュレーションゲームだったりした。ネットワークを使って研究所の別の場所にいる仲間と対戦するのだが、1回当たり75ドルもの通信料がかかる。

コンピュータゲームは、実はマサチューセッツ工科大学(MIT)が行っていた次世代技術開発プロジェクト「マルチックス」の研究の成果であり、実証でもあった。コンピュータは複数の端末が要求する処理を逐次実行し、その結果をリアルタイムでフィードバックする。

ところがAT&T社がマルチックス・プロジェクトから撤退することを決めたために、3人の研究者は自分たちが作ったファイル管理システムやアクセス制御システムを別の形で残そうと考えた。まずディジタル・イクイップメント(DEC)社の「PDP—7」の上で初期の原始的な基本ソフト群が作られ、次いで「PDP—8」で彼らの考えていたOSが完成した。当初、彼らはその基本ソフト群を「Uni」と呼んでいた。これに〔正体不明〕の意味の「X」が付けられた。当初の名は、つまり「Uni-X」だった。

この基本ソフト群が「UNIX」という名のOSとして大学や研究所に配布されるようになったのは1970年である。なぜ配布ということになったかというと、当時、AT&T社には反トラスト法によって、コンピュータ分野、情報処理サービス分野に参入することを禁じられていた。このためにベル研究所は「UNIX」を販売することができなかった。

普及させるにはソースコードを公開し、ライセンス料金を極力低く——ほとんど無償に近いマニュアルや磁気テープの実費程度に——設定しなければならなかった。オープンソースの原点である。最初はマルチユーザー/シングルタスクだったが、ソースコードが公開されたため、DEC社のコンピュータのユーザーたち(主にDECUSのメンバーたち)が寄ってたかって改良を施し、ほどなくマルチユーザー/マルチタスクリアルタイムOSにブラッシュアップされていった。

UNIXの成功について、ベル研究所は次のように記している。

「例えば、入出力システムの実現はマーレー・ヒルのベル研が担当し、シェルの実現はMITが担当しているといった具合だった。我々にとってはシェルに変更を加えることなど思いもよらなかった(それは他人のプログラムだったのである)。UNIX入出力システムとシェルの場合は、ともにトンプソン1人の管理下にあったため、良い考えが浮かぶと、それを実現するのに一時間程度しかかからなかった」