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施設・組織

情報通信産業労働組合連合会

1962年10月に国際電信電話、日本電信電話公社および通信建設関連の労働組合が結集して発足した「電通共闘会議」を母体に1980年9月「電通労連」、1988年「電気通信労連」と改称・改組し、1989年11月日本労働組合総連合会(連合)に参加した。現在の運営形態…

北川学校

第二次世界大戦前、日本ワットソン統計会計機械(のちの日本IBM)に勤めていた北川宗助が育てたわが国情報産業の第一世代の人々の総称。 敗戦直後の1945年9月、連合国軍総司令部(GHQ)の戦略爆撃調査団がパンチカードシステム(PCS)を運用する日本人スタッ…

FACOM電子計算センター協議会

発足は1966年。富士通のメインフレームを使って受託計算サービスを提供した企業の団体。 発案者は協栄計算センター(のち「アイネス」)の狩野健司氏だったとされる。 発足時は首都圏の6社だったが富士通製コンピュータの普及とともに会員が全国に広がり、農…

世界情報処理産業会議

1980年に発足した民間主導の国際組織。紆余曲折を経て、現在の「世界情報技術産業会議」(WCIT)につながっている。 1980年、スペインのマドリッドで世界主要国の情報処理サービス/ソフトウェア業団体が集まって、各国の情報処理サービス/ソフトウェア産業…

巴記者クラブ

1964年に創設された情報産業専門の記者クラブ。日本工業新聞、日刊工業新聞、電波新聞、電気新聞の4紙で構成し、1968年まで5年間続いた。名称は事務所を置いた東京・港区の大久保巴町(現・虎ノ門一丁目)から。

日本電気生田研究所

第二次大戦前、現在の神奈川県川崎市生田にあった研究所。同研究所は1928年に三極真空管の試作に成功していた。終戦直後、日本に駐屯していたアメリカ陸軍が知る日本で唯一の真空管メーカーだった。ちなみに同研究所は現在、専修大学生田校舎となっている。

茨城通信技術(茨城電気通信研究所)

電気試験所の茨城研究所を日本電信電話公社が継承し金属素材の基礎研究を行っていた。情報処理システムにおける磁気記録媒体、塗布素材、磁気ヘッドなどを研究していた。 参考URL:http://www.bcm.co.jp/site/2005/2005-11/05-fellow-11/05-fellow-11.pdf#se…

茨城研究所

通産省電気試験所(現在の産業技術総合研究所)の研究所の一つ。のち日本電信電話公社(電電公社)の茨城通信研究所(茨城電気通信研究所)となった。