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北川学校

第二次世界大戦前、日本ワットソン統計会計機械(のちの日本IBM)に勤めていた北川宗助が育てたわが国情報産業の第一世代の人々の総称。

敗戦直後の1945年9月、連合国軍総司令部GHQ)の戦略爆撃調査団がパンチカードシステム(PCS)を運用する日本人スタッフを起用したのがきっかけ。以後、在日米軍立川基地、川崎補蔽部隊などで多くの人材が育った。

1960年代に入って北川学校の中心は日本ビジネス、日本ビジネスコンサルタント(のちの日立情報システムズ)、日本情報開発(現エヌアイディ)などに移った。