電気通信復興五カ年計画

通信復興五カ年計画はやや早急でありすぎ計画通りにいかなかった。このため経済復興計画委員会の交通部会は1949年度から「経済活動と市民生活が支障なく営める程度」に計画を手直しし、1953年度までの目標として市内電話復旧63万台、新規28万台、市外回線 総延長45万キロに修正した。それでも1175億円の予算が必要とされた。

昭和22年国際電気通信株式会社が解散し電気試験所第二通信部に統合、昭和23 年文部省電波物理研究所が電気試験所に統合された。 GHQの勧告により、電気通信部門を逓信省電気通信研究所になり、27年に日本電信電話公社国際電信電話会社が発足した。 電波物理の研究は国の機関である電波試験所に残った。 5年間で混沌から脱し、後半の5年間は個別機能網整備の体制が整った。 電電公社は全国一律同一品質の公衆電気通信網の整備に本格的に着手した。 電話網は公衆通信網の他に、鉄道通信網、警察通信網、電力通信網など事業別に整備が進んだ。

政府は1949年7月、「電信電話復興審議会」を設置し、電信電話の復旧・復興、改善に関する重要事項を調査・審議することとした。そして、経営主体を十分な自主性と機動性を兼ね備えた企業体に改め、最も能率的な運営を行う必要があるとの結論に達した。その結果、国家財政の枠を脱した拡充資金の調達を図り、合理的かつ企業的に経営することを理念として、電信電話事業は公共企業体として設立されることになった。こうして1952年7月31日、日本電信電話公社法が成立し、翌8月1日、日本電信電話公社(以下、電電公社)が発足した。