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2018-01-27から1日間の記事一覧

デミング賞

アメリカの経営学者エドワード・デミング(1900~1993)が提唱した品質管理手法を実践し好成績をあげた企業に贈られる賞で、同博士が来日した翌年から日本科学技術連盟が主催している。それまで生産現場における管理手法はフレデリック・テーラーが唱えた「…

IBM室

第二次大戦後から1950年代にかけて、日本の企業で使われた用語。コンピュータ・ルームと同義。 導入した計算機のメーカーがレミントンランド社であっても、日本の企業はその設置場所を「IBM室」と呼んだ。化学調味料を「味の素」、光学式複写機を「ゼロック…

ENIACの特許

プレスパー・エッカートとジョン・モークリーが設計した真空管式電子計算機「ENIAC」の特許はエッカート・モークリー社が保有していた。のち、その特許はレミントンランド社が購入し「UNIVAC」ブランドの電子計算機が製品化された。ちなみに「UNIVAC」の命名…

BINAC

バイナック BINay Automatic Computer 1946年にエッカート・モークリー・コンピュータ社が開発した初の2進法計算機。ENIACの特許を駆使して商用化を目指したが、目論み通りにいかなかった。

日本電気生田研究所

第二次大戦前、現在の神奈川県川崎市生田にあった研究所。同研究所は1928年に三極真空管の試作に成功していた。終戦直後、日本に駐屯していたアメリカ陸軍が知る日本で唯一の真空管メーカーだった。ちなみに同研究所は現在、専修大学生田校舎となっている。

PDP-4

米ディジタル・イクイップメント(DEC)社が1963年に製品化した18ビットコンピュータ。PDP-1の上位機として製品化され、画像処理機能を備えていた。

PDP-3

米ディジタル・イクイップメント(DEC)社が1962年に開発に着手した32ビットコンピュータ。設計だけで製品化されなかった。

PDP-2

米ディジナル・イクイップメント(DEC)社が1961年に開発に着手した24ビットコンピュータ。製品化にいたらなかった。

PDP-1

米ディジタル・イクイップメント(DEC)社が1960年に製品化した最初の制御用コンピュータ。ケネス・オルセンとハーラン・アンダーソンがオルセンの自宅のガレージで組み立てた。この成功がDEC社の設立につながった。 縦約20㎝、横約10㎝の実装基板と、トラン…

PDP

Programmed Data Processor 1957年から1990年まで続いた米デジタル・イクイップメント(DEC)社のコンピュータシリーズ名。PDP-1からPDP-16まで16モデルがあった。 PDPシリーズ - Wikipedia

PDP-5

米ディジタル・イクイップメント(DEC)社が1963年に製品化した12ビットコンピュータ。オープンリール方式の磁気テープ装置を備え、6ビットでデータが記録・保存された。のちの「ミニコンのDEC」を確立した名機とされる。 シンプルなデータを高速に処理でき…

ミロクコムシェア 

1974~1978 1974年6月ミロク経理と米コムシェア社の合弁で設立され、コムシェア社が開発した超大型コンピュータ「シグマ9」によるTSSサービス「コマンダーⅡ」を提供した。資本金は1億9840万円、従業員は26人、1978年度の年上高は約2億円だった。しかし初…

コントロール・データ・コーポレーション(CDC)

Control Data Corporation 1 957年にスペリーランド社からスピンオフしたウィリアム・ノリスが創業した。科学技術向け中・小型計算機を得意とした。「CDC」の略称で知られる。ノリスと一緒にCDC社を立ち上げたシーモア・クレイが、のちにスーパー・コ…

EDPジャーナル

1968年5月5日創刊。 1970年5月20日まで、日本電子計算機開発協会系の出版会社「EDP出版」社が隔週刊で発行した。 ほぼ同じ時期に会員制機関紙として、マネジメント・サイエンス・クラブの「ザ・デイリー・ネットワーク・ニュース」、日本能率協会発行の「EDP…

WTC 

World Trade Corporation 日本のコンピュータ業界ではダブリュ・ティー・シーと呼ばれた。 IBM社のグローバル戦略を統括する組織で正式名称は「IBMワールド・トレード・コーポレーション」。形式上、アメリカIBM社もWTCの傘下に入る。IBM社は各国に設立した…

レミントンランド

Remington Rand 1927–1955 IBM社と並ぶアメリカの電子計算機メーカー。「RR」の略称で知られた。スペリー社に買収され、「UNIVAC」ブランドのコンピュータで一世を風靡した。1990年バロース社と合併し、ユニシス社となった。 レミントンランド - Wikipedia

日本 ソフトウェア

通産省が主導し、政府機関の情報システムを開発するために設立されたソフトウェア開発会社。国産コンピュータ・メーカーが出資した。

ボレーの乗算器

Multiplizierer von Léon Bollée フランスの発明家レオン・ボレー(Léon Bollée:1870〜1913)が開発した。 1889年に行われたパリ国際博覧会に出展され、金賞を受賞した。この装置をハーマン・ホレリスがパンチカード式集計機に採用し、統計会計機械装置が完…

Alto

1973年、米ゼロックス社(XEROX)のパロアルト研究所(PARC)でアラン・ケイの要請を受けて3ヶ月足らずで作られたワークステーション試作機。メモリ増強などの拡張を伴ってAlto-II、販売を目的にしたAlto-IIIまで作られたが、結局、市販はされなかった。1973…

EDVAC 

Electric Discrete Variable Caluculator エッカートとモークリーがENIACに続く電子計算機として1944年から設計を開始し、1952年に完成させた。ENIACCが10進法だったのを2進法に改め、プログラムを内部に保有させることで演算速度の高速化を図った。この開…

EDSAC 

Electronic Delay Storage Automatic Calculator イギリス・ケンブリッジ大学の研究者・ウィルクス(Maurice Vincent Wilkes) が1949年に開発した真空管式計算機。長さ5フィート(約1.6m)の管に水銀を蓄積し、一方の端から音声信号を通したとき、もう一方…

TOSAC 

Toshiba Analog Computer 1960年代、東京芝浦電気が電力、生産制御、大学・研究所などでの計測用として開発したアナログ式計算機のブランド。のちアメリカのインターデータ社が開発したデジタル式計算機を扱うようになったため、「TOSAC」の名は消滅した。

HITAC8000シリーズ

1965年に発表された日立製作所の汎用電子計算機で、アメリカRCA社から技術供与を受けた。当初は小型機でスタートし、のちに大型機までシリーズ化され、1972年発表の「HITAC Mシリーズ」の基礎を形成した。

UNIX(ユニックス)

1969年、AT&T社のベル研究所に所属していたブライアン・カーニハン、デニス・リッチー、ケン・トンプソンの3人の研究員が開発したOS。 【エピソード】 彼らは、他の研究員と同じように、暇を持て余すと——あるいは研究に没頭して疲れた頭を休めるとき——、自…

ソーシアルサイエンスラボラトリ(SSL)

1972年7月、三岩商事が出資し、国策ソフト会社「日本 ソフトウェア」の事業縮小に伴って、そのソフトウェア技術者約50人が中心となって設立された。富士通の大型コンピュータ用基本ソフトウェアや官公庁のシステム開発を手がけ、売上高は1974年度が3億6000…

MCS-4

1971年4月、米インテル社が日本の電卓メーカー「日本計算器」の要求で開発に成功した演算機能を備えたシリコン半導体。幅約3mm、長さ約4mmのシリコンチップの中に2300個のMOS型トランジスタを搭載していた。動作周波数は108キロヘルツ、回路線幅は10ミ…

PDP-8

米ディジタル・イクイップメント(DEC)社が1967年に製品化した12ビットコンピュータ。初めて演算素子にICを使い、プライス・パフォーマンスを大幅に向上した。最小4キロワード(最大32キロワード)のコアメモリを内蔵し、演算速度は1.5マイクロ秒だっ…

GEMMY

日本電信電話公社(電電公社)が開発した磁気ディスク装置。 薄膜ヘッドを採用し、震動や熱による変形抑制、空気清浄化技術などで超高密度記録を実現した。耐磨耗性に優れた潤滑材でヘッドの耐久性と信頼性を向上するなど「磁気ディスク装置の最高峰」といわ…

茨城通信技術(茨城電気通信研究所)

電気試験所の茨城研究所を日本電信電話公社が継承し金属素材の基礎研究を行っていた。情報処理システムにおける磁気記録媒体、塗布素材、磁気ヘッドなどを研究していた。 参考URL:http://www.bcm.co.jp/site/2005/2005-11/05-fellow-11/05-fellow-11.pdf#se…

茨城研究所

通産省電気試験所(現在の産業技術総合研究所)の研究所の一つ。のち日本電信電話公社(電電公社)の茨城通信研究所(茨城電気通信研究所)となった。

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